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Posted by あしたさぬき.JP at

エジソンの母

2008年01月20日


いつからだろう。

いつから、1+1=2であることが、当たり前になったんだろう。
いつから、人間は飛べないということが、当たり前になったんだろう。

新ドラマ「エジソンの母」では、
何に対しても「どうして?」を繰り返す、
好奇心たっぷりの男の子が登場する。

第二話では、どうにかして空を飛ぼうと実験を繰り返す。
段ボールの羽をはばたかせたり。
気球の仕組みを人体で試し、
ガスを吸引しようとして大騒ぎになったり。
果ては、教室の窓から飛び降りたり。

周囲はそんな彼に、翻弄されっぱなしだ。

人間は、飛べない。自力では。
どうやったって、飛べない。

それを説明することは、可能だろう。
骨格とか、重力とか、私たちをとりまく全ては、
人間が飛べないことを示すだろう。

でも、どうやっても、心ではわからないという場合がある。
それを頭でも感覚でも捉えられないことすらある。
・・・どうすればいいのだろうか。
「やってみないとわからない」
と言われたら?
納得させるのは、なかなかに難しかろう。
学校で行う実験は、やって見せることのできるものだ。
まさか、屋上から飛び降りて、
「ほら、飛べないでしょ?」と言うわけにはいかない。
ましてや、ガスを実際に吸引して、
「ほら、死んじゃうでしょ?」だなんて、言えるわけがない。

だからといって、「なぜ?」の芽を摘み取るなんて、
なおさらできないし、したくない。

好奇心は、大事だ。
なぜ?を追いかけるのは、楽しい。
世界に立ち向かうことは、限りない叡智を与えてくれる。

ただ、追求していくと、いつか理解が訪れる。
「人間は、飛ぶことが出来ない生き物である。」
それが、否応なしにわかってしまう時が来る。
それを終着点にするかしないかは、人それぞれだ。
そこからリスタートして、
それでもなんとか飛べる方法があるんじゃないか、と、
考えることだってできる。

・・・できるんだよなぁ。

「エジソンの母」は、
そんな’当たり前’をも、再確認させてくれるドラマだ。

小さい頃は、私も、自分が空を飛べると信じていた時期があった。
ほのかに覚えている。
今思い返せば、それは妄想の領域だったのだろうけれど。
確かに、いつか飛べるようになると、期待していた。
武空術をなんとかして体得しようと試みたこともある。

いつからだろう。
空を飛ぶことが、完全に想像で妄想になってしまったのは。

「勇気一つを友にして」という歌がある。
♪昔ギリシャのイカロスが 蠟で固めた鳥の羽
 両手に持って 飛び立った
 雲より高く まだ遠く 勇気一つを友にして♪
・・・歌詞はこんなだったと思う。
この歌を習った時が、ちょうど境界領域だったような気がする。
ファンタジーということはわかりつつも、
現実にイカロスは飛んだのだと信じていた。
でも太陽に向かってはばたくイカロスは、
♪赤く燃えたつ太陽に ロウでかためた鳥の羽根
 みるみるとけて 舞い散った
 翼奪われイカロスは 墜ちて生命を失った♪
・・・羽が、飛行の絶対条件なのだ。
人間の、その身一つでは不可能なのだ。
飛べるんだという夢と、飛べないんだという現実。
この歌は、その両面を孕んでいる。

いろんな知識を得て。いろんな経験をして。
だんだんわかってくるんだろうなぁ。

「なぜ?」の芽は、若葉になって、いつか大樹に成長して。
芽であった頃のことなんて、すっかり忘れてしまうけど。
また新しい芽が、そこら中に転がっていて。
昔みたいな純白の想いはなくなってしまったけど。
その分深ぁい碧色。
どんどん育てて、地球を楽しみたいね☆


  


Posted by くみちょ at 04:36Comments(0)脳内旅行