地球にやさしく
2008年05月25日

最近、生徒との会話の中で、
考えさせられることが多い。
先日、こんな質問が寄せられた。
>以前先生は「地球にやさしくしたい」と言ったが、
それよりも「人間にやさしくする」と言ったほうがいいと思う。
温暖化がすすんだりすると、地球は爆発してしまうわけでもないし、
人間が滅びても地球は痛くもないのでは・・?と思う。
先生は、どう考えるか。
…む、難しい。
一筋縄にはいかない問題かも。
とにかく、こう答えてみた。
>なるほど!
その思考の転換はしたことがありませんでした。
「地球にやさしく」というキーワードに踊らされている面が、
私にはあるかもしれません。
>「情けは人のためならず」
と同様に、「優しさは地球のためならず」
自分たち人間のために行う「優しさ」と考えたほうが、
目的意識ははっきりしますね。
地球という星は存続し続けるわけで、
その意味ではたいして問題ないですものね。
>ただ、「人間も地球の一部」と考えた上で、
この星に生きる、動物・植物・微生物などすべてが、
お互い影響しあう中での「優しさ」は必要だと思います。
人間だけに優しくしてしまうと、
きっと絶滅する種は多くなってしまいます・・・よね?
(あまり詳しくはありませんが;)
温暖化が人間のせいで、
そのために、人間のみならず害を被る者たちがいることを思うと、
「地球にやさしく」したくなる感じなのです。
とはいえ、そんなのは偽善でしかなく、
実際は反エコな行動を取ってしまう私なのですが。。。
完全に地球にやさしく生きるには、
人間はもう都市化と開発を進めすぎていると思うので、
その辺りにジレンマを抱えつつ生きるしかないのですかね。
>話は少しずれますけれど、
私は「恐竜」が好きです。かなり好きです。
恐竜の絶滅理由は、隕石の衝突説が有力ですが、
そうした地球外のことも含め考えると、
単純に「地球にやさしく」なんて言ってられませんね。
また近年、恐竜は絶滅したのではなく、
鳥に進化したのであるという説が有力になっています。
今の私たち人間も、恐竜時代はネズミのような小さな存在でした。
生物は、一世代で「進歩」はするけれど「進化」はできない。
「進化」は何世代にもわたってゆっくりと行われるもの。
>ずっと、ずーっと先のことに思いを馳せてみると、
今のエコ活動なんて小さいかもしれないけど、
その小さな「優しさ」の積み重ねが、
いつか世代を超えて、大きな恵みにつながればいいなぁと思います。
>大きなことをいいましたし、
なんだかまだ私自身の中で考えを消化できていませんが・・・
一旦これをお返事にした上で、
もう少し考えてみたいと思います。
…即時の返事は、
こんな感じ。恐竜でごまかした感があるなぁ。
ちゃんと考えをまとめて、
文章化して提示したいんだけど…
「地球にやさしい」ってなんだぁぁぁ!!!
地球を擬人化して考えることの是非も含め、
なんだか深い思考の迷路

センター試験
2008年02月06日

高校時代の日記。
今の時期は、入試への気合と不安が綴られる。
シンジルココロが、ことばになってる。
・・・今よりずっと、自分に、人生に、向き合っていた気がする。
今年のセンター国語には、夏目漱石の『彼岸過迄』」が出題された。
昔なら、文体だけで抵抗を感じていただろうに、
今解くと、これがかなりおもしろい。
古典も、個人的には大好きな浅井了意だし、
典型的な怪談だったので心躍った。
わかる、解けると、なんて楽しいんだろう。ね。
積み重ねって、大事だなぁとしみじみ感じた。
一つ一つのことばが、はらりはらりと重なって。
だからこそ、今ならできる。
ことばとの戦いは、忍耐が絶対条件だけど。
重ねたことばは、力になるね。
無心
2008年02月06日

何も考えず、ただ振り下ろし、振り上げる。
その方が、きれいに遠くへ飛んでいく。
なんだか不思議だ。
懸命に考えて、フォームを直したりして、
よし!と気合を入れて打ったら…
たいがいカスったり。ゴロったり。
底辺を斜めに飛んでいく。
でも、
遠心力に任せて自然に、軽く振ってみると、
案外すっと、まっすぐ飛ぶ。
「力を入れて、力まない」
昔から、私の課題でもある。
リキんじゃうと、軌道がずれたり、不自然になっちゃう。
同じ「力」なのに。
「力を入れる」のは好印象。
「力む」のは悪印象。
ふしぎふしぎ。なんだかふしぎ。
連鎖反応
2008年01月09日

ネズミ年です。
猫さんをだまして。
牛さんの上に乗って。
神様のところに一番乗りしたネズミ。
十二支のお話で、
どうしてネズミさんは、そんな扱いだったんだろう。
人々にとって、ネズミってのはそういう狡賢い存在だったのかな。
なんか、由来から当時の思考過程をたどるのも、おもしろそうね。
人の思考=連鎖反応。
連想の繰り返しで生まれるもの。
そして、一つの事柄から連想される事柄は、
ある程度は他人同士でも共通している。
思考過程において、万人に共有する部分がある。
それってすごいと思う。
そういえば、
十二支を覚えるときにこう習った。
―ネズミは子だくさんで、縁起のいい存在。
だから、「子」で表すのよ。
―「午(うま)」という漢字を「牛」と書かないように!
馬にツノはないでしょう。
だから上に突き出しちゃダメなのよ。
午前・午後は、十二支で時刻を表していたのが語源なのよ。
単純に「あんきしなさい」じゃなくて、
その言葉にまつわる雑学的な知識(連想事項)を得ることで、
その言葉が自分のものとなっていく気がしたものだ。
漢字を覚えるときなんか、
字の作りを知ると知らぬとで、
学ぶ楽しさが変わってくる。
「女」=忍者のくの一は、おんなのこ。
「親」=木の上に立って、子を見る存在。
成「績」=積み上げるのではなく、績(つむ)いでいくの。
なんか、他にもイロイロ習った気がするのに、
いまいち覚えていない自分が恨めしい。
一つのモノの周りに、それに関連する事項が結びついて。
脳内ってのは、そんな網の目状態。
今回は、ネズミから漢字へ。
そうして連想しつつずれていく思考を楽しむのが、
どうやら私の好みらしい。
今日も、新しい連鎖が、脳内発生しそうだわ☆
宇宙人
2008年01月05日

宇宙人って本当にいるんですか?
―――いますよ。あなたもそのひとりです。
(谷川俊太郎さんの「質問箱」より)
「ほぼ日刊イトイ新聞」が好きで、よく訪問する。
そこで生まれた、この質問箱の応答を読むと、
ココロが、ぐっと広くなる気がする。
そう。
私も、あなたも、彼も、彼女も、宇宙人なんだ。
地球主体で見ちゃうから、宇宙人がいるのかいないのか、なんて論争が起きる。
でも、地球だって宇宙の一部だ。
たくさんの奇蹟が積み重なって生まれた、
宇宙の、銀河系の、太陽系の、一惑星なんだ。
そこで生まれた「ヒト」という存在が、
そこで発明した「ことば」を使って、
「宇宙」を表現してる、ただそれだけ。
ことばの不思議。
そのことばへの考え方を変えるだけで。視野を転じるだけで。
奥行きが、無限にもなる。
だから、ことばは、おもしろい☆